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また時代が逆戻り?自慢の歴史が引張るのだ1

また時代が逆戻り?自慢の歴史が引張るのだ1




 
今年3月、中国の政権は国家主席の任期を廃止
する憲法改正をしました。これまでは国家主席
の任期は2期10年までという制限があったので
すが、今後は終身独裁者となっても憲法に違反
しないことになりました。その上に「習近平
想」を国の指導理念とする決定をしました。簡
単に言うと、習近平国家主席の個人の考えが中
国の憲法になるということです。


以下の記事は中国の内情に詳しい石平氏は、習
近平国家主席の立場は中国の歴史上の「真命天
子」と同じになったということです。神話の時
代には伝説に黄帝という名が出てきます。こう
いった感じではないでしょうか。


実在の皇帝なのか、皇帝を修飾する言葉なの
か、困ったことにこのブログはそこまで皇帝に
ついて詳しくありません。長い長い間に色々な
皇帝がいたことは分かります。「真命天子」と
言われても、現実は何かと欠陥を持った皇帝が
ほとんどだった、というように聞こえてしまう
言葉です。まっ、読者の方は信用しないでくだ
さい。


平氏は過去の絶対的な独裁者として27年間
主席に君臨した毛沢東を上げています。彼の
死後40数年たっているのですが、習近平国家
主席の方針で一気に逆戻りしたということで
す。この国は皇帝政治から成長しそうにない、
ということです。


毛沢東は1946年に「毛沢東思想」を党規約に
することに成功した。これと同じということ
でしょう。毛沢東の時代27年間を暗黒の時代
と見ているようです。逆戻りしたと表現して
いるのですが、意味が重大なようです。


少し詳しく述べると、鄧小平の時は改革開放政
策といわれますが、西欧の文明国の仲間入りを
目指していた、国際社会はそう思っていたが、
そこは中華文明、社会の上から下まで不正腐敗
が蔓延した。そして今年は国家主席の任期が廃
止され、終身国家主席の道を作った。


中国国民からすると、賄賂また賄賂の不正腐敗
の政治がいいか、それとも少々封建的になるが
皇帝政治がいいか決断を迫られたということに
なるかもしれません。どちらにしても発言でき
るということはありません。
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 神話の皇帝「黄帝」・画像

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新皇帝・習近平は"アジア支配"に乗り出す<1>

プレジデント 4/20(金) 9:15配信

今年3月、中国の習近平国家主席憲法改正を断行。「習近平思想」が国家の指導理念として盛り込まれた。中国事情に詳しい石平氏は「中国における習近平の立場は、歴史上の『真命天子』としての皇帝と同じになった。その地位に見合う実績をえるために、領土拡張政策を強化する」と警鐘を鳴らす。その標的には日本が含まれている――。

 ※本稿は、『なぜ中国は民主化したくてもできないのか』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

習近平の考え方が中国の「憲法」になった

 日本の国会が「森友学園問題」という「コップの中の嵐」で大きく揺れていたあいだ、日本を取り込む東アジア地域の政治では、巨大な嵐の到来を予感させるような激変が起きていた。

 平昌五輪における「南北融和」から米朝直接対話実現へ向かう一連の動きは、朝鮮半島情勢に大きな地殻変動をもたらそうとしている一方、大陸側の中国では、1980年代の鄧小平改革以来、もっとも大きな権力構造の異変が起きていたのである。

 去年10月の共産党大会で権力基盤を固めた習近平国家主席は、今年3月に開催された全国人民代表大会憲法改正を断行し、毛沢東時代の再来を彷彿(ほうふつ)とさせる個人独裁体制の確立に成功した。

 改正された憲法には、「習近平思想」なるものが「国家の指導理念」として盛り込まれたが、その意味するところはすなわち、今後の中国においては習近平の個人的な考え方が憲法となり、政治的指導者としての習近平の絶対的な地位と権威は、憲法によって保障されることになる。これで中国における習近平の立場は、歴史上の「真命天子」としての皇帝と同様のものとなった。

 その一方、習近平の手によって改正された中国の憲法では、改正前の憲法によって定められた「2期10年」という国家主席の任期制限が撤廃された。任期制限が撤廃されれば、現役の国家主席習近平氏は死ぬまで最高権力の座にいることが可能になるが、それこそが習近平の狙うところである。彼のめざすところは要するに、往時の毛沢東と同じような「終身独裁者」になることだろう。

 中華人民共和国の創設者である毛沢東は、1949年の政権樹立から1976年に彼自身が死去するまでの27年間、絶対的な独裁者として中国に君臨して皇帝然として振る舞った。平和な時代であるにもかかわらず、数千万人の人々が殺されたり自殺に追い込まれたりした毛沢東時代は、中国史上の暗黒時代として記憶されている。

 毛沢東の死後、彼の独裁政治の被害者でもある鄧小平が権力を握ってから、絶対的な独裁者の出現による災難の再来を防ぐために、さまざまな政治改革が試みられた。最高指導者の定年制を政治的ルールとして導入し、1982年に改正した中国の憲法には前述の「2期10年」という国家主席の任期制限が設けられた。

 重大な意思決定は中央指導部の討議と合意によってくだされるという集団的指導体制も導入したが、鄧小平が行った一連の政治改革の狙いはもちろん、毛沢東のような皇帝型の独裁者の再来を防ぐためであった。

毛沢東死去から42年、「新しい皇帝」の誕生

 鄧小平が導入したこの政治ルールが確立してから三十数年、中国の政治は共産党一党独裁を基本としながらも、個人独裁の弊害を取り除くことにある程度成功し、権力のあり方とその行使は少しずつ、制度化と安定化の方向へと進んでいった。そのなかで多くの知識人と国民は、この国の政治は毛沢東独裁時代と決別して、近代民主主義文明国家へと徐々に近づいていくのではないか、という期待を膨らませた。

 しかし2012年11月に習近平政権が成立してから今年3月の全人代閉幕までのわずか5年半、この国の政治は四十数年前の毛沢東時代へと一気に逆戻りした。

 「習近平思想」が憲法に盛り込まれたことにより、「朕即ち憲法」「朕即ち国家」という習近平個人独裁体制が確立された一方、国家主席任期制限の撤廃により、習近平個人独裁体制が本人の死去まで永久に続く道が開かれた。

 そこで鄧小平改革の成果は放棄され、絶対的独裁者の再来を防ぐために確立した制度とルールは無残に破壊されたのだ。それに伴って、習近平という人間は実質上の皇帝として中国に君臨し、13億人の国民の運命を握ることとなった。

 毛沢東が政権をとって「新しい皇帝」として中国に君臨したのは1949年、名目上の中国最後の皇帝である清朝宣統帝が退位してからのわずか37年後である。そして1976年に毛沢東が死去してから42年、中国では再び「皇帝」の称号こそもたないが、新しい皇帝が登場した。どうやらこの国は、古くから続く皇帝政治からどうしても脱出できないようである。

■「習近平独裁体制」のアキレス腱とは

 どうして中国はいつまでも、皇帝政治の伝統から抜け出すことができないのか。この問題についての考察は他に譲りたいが、ここではまず、われわれ周辺国にとって「習近平帝政」の危険性を考えてみよう。

 その危険性の1つは、新皇帝の習近平独裁体制が抱える大いなるジレンマにある。前述のように、習近平は「新しい皇帝」になるべく、自らの名前を冠した「習近平思想」を共産党の規約と中国の憲法に盛り込むことに成功したが、実は、それは彼自身にとってのアキレス腱ともなった。

 中国共産党史上、指導者個人の思想が党の指導思想として認定された前例には「毛沢東思想」がある。1936年に党の主導権を握った毛沢東は、それから9年間かけて権力基盤を固めたのち、46年に開催された共産党第7回党大会で「毛沢東思想」を党規約に盛り込むことに成功した。
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