ネットビジネス情報は海原の波

毎日、沢山の情報が生まれ消えています。どんな情報がいいのか?

お正月なので、 ボブ・ディランのおめでたいお話2

お正月なので、
ボブ・ディランのおめでたいお話2

 

1月2日はお正月、

明けましておめでとうございます。
 
 

 

ボブ・ディランは前ページのようにノーベル文
学賞は受賞すること、しかし授賞式には欠席す
ることも表明しました。ですが、ボブ・ディラ
ンはノーベル賞授賞式にメッセージを送り、授
賞式では代読されたということです。


ノーベル賞授賞式で公表されたボブ・ディラン
のメッセージは「自分の歌が文学なのだろうか
、などを考えたことは一度もない」ということ
です。こう素直に言う、この正直さには驚かざ
るをえないですね。


ボブ・ディランは「ノーベル文学賞はこれを考
えるきっかけを与えてくれた」ということです。
1941年生まれの75才なんです。それでこんな
真正直な発言をするのですから、やはり根は
「詩人」なのかな、と思わされてしまいます。


結論は「スエーデン・アカデミーに感謝します」
ということなのですが、ボブ・ディランの長年
のフアンはボブ・ディランの歌に魅入り、繰り
返しボブ・ディランの歌を聴いて年月を過ごし
たことに納得し、大いに満足したのではないで
しようか。よかったですね。

おめでとうございます。


2番目の記事はコラムニストの堀井健一郎氏の
書いた記事ですが、ボブ・ディランの曲につい
て書いています。ボブ・ディランの曲を聴くよ
うになったきっかけは吉田拓郎だそうです。読
者の方も思い出すことや曲名があることでしょ
う。一読してみてください。


ところでストックホルムノーベル賞の授賞式
ですが、晩さん会の場にアメリカの歌手、パン
クの女王と言われたパティ・スミスがいました。
ボブ・ディランの「激しい雨が降る」を歌いま
した。


そこでちょっとしたハプニングが起きたのです
が、3番目、4番目の記事に詳しく報告されてい
ます。パティ・スミスは子供のころからボブ・
ディランのフアンだったようです。パティ・ス
ミスの発言から、アメリカや英語圏の音楽関係
者、歌手などへのボブ・ディランの影響力を推
し量ってみて下さい。非常に多くのミュージシ
ャンへ影響している実情の一部か少し想像でき
ます。

3番、4番目の記事はぜひ読んでみてください。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ノーベル賞授賞式、ディラン氏がメッセージ「受賞できて光栄」

AFP=時事 12/11(日) 13:49配信

【AFP=時事】スウェーデンの首都ストックホルム(Stockholm)で10日に行われたノーベル賞(Nobel Prize)授賞式で、「先約」を理由に欠席したノーベル文学賞(Nobel Prize in Literature)受賞者の米シンガー・ソングライターボブ・ディランBob Dylan)氏のメッセージが代読された。

【関連写真】米大統領の会合も欠席

 ディラン氏はアジータ・ラジ(Azita Raji)駐スウェーデン米国大使によって読み上げられたメッセージの中で「もしも私にもノーベル賞を受賞する可能性が少しくらいはあるよと誰かに言われたとしても、それは私が月面に立つのと同じくらいの可能性しかないだろうと思ったでしょう」と受賞の驚きを明かした。

 また、式に出席できなかったことを「申し訳ない」と謝罪したうえで「私の精神はあなたがたと共に(式典会場に)いるのだと知っていただきたい。このような名誉ある賞を受賞できて光栄に思っています」と謝意を表した。

 さらにディラン氏は、今回の受賞によって自身の歌を文学作品として捉える機会を与えられたとして、ノーベル賞の選考委員会であるスウェーデン・アカデミー(Swedish Academy)に感謝した。「『私の歌は文学なのだろうか?』などと考えたことはこれまで一度もなかった。ですから私にこの疑問について考えるきっかけを与えてくれ、そして、この根本的な問いに対して最終的に素晴らしい回答を与えてくれたスウェーデン・アカデミーに感謝します」

 そして、英国の作家ラドヤード・キプリング(Rudyard Kipling)、英国の劇作家ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw)、フランスの作家・哲学者のアルベール・カミュAlbert Camus)らそうそうたるノーベル文学賞受賞者たちの仲間入りを果たしたことに「言葉にできないほど」心から感動しているとも述べている。

 物議を醸したディラン氏の授賞式欠席により、式典後の晩さん会ではディラン氏と交流のある米ロック歌手、パティ・スミスPatti Smith)さんがディラン氏の曲「はげしい雨が降る(A Hard Rain's A-Gonna Fall)」を歌った。緊張のあまり途中で歌が途切れてしまうハプニングもあったが、スミスさんは約1500人の出席者に謝り、温かい拍手を受けて歌い直した。【翻訳編集】 AFPBB News

ノーベル賞授賞式、ディラン氏がメッセージ「受賞できて光栄」

AFP=時事 12/11(日) 13:49

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

ボブ・ディランの詩はここがすごい! 難解だなんてウソです 極私的ディラン耽溺記

現代ビジネス 12/16(金) 22:01配信

 

 ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン。その詩はしばしば「難解」と形容される。しかし、それは違うのだ。ひたすらディランを聴き込んできたコラムニスト・堀井憲一郎さんが彼の詩の魅力をわかりやすく説く。

吉田拓郎の影響で

 ノーベル文学賞の授賞式で、ボブ・ディラン代理の歌手が『ハード・レイン/はげしい雨が降る』を歌った。

 1963年の歌だ。
 ボブ・ディランの代表作である。

 ノーベル賞によって、注目されるようになったボブ・ディランだが、もっとも有名な曲は『風に吹かれて』だろう。ディラン受賞ニュースで流れていた音楽はだいたい『風に吹かれて』だった。あとは『はげしい雨が降る』と『ライク・ア・ローリングストーン』もニュースで流れていた。『時代は変る』も聞いた気がする。それがほぼ全部だ。


 私がボブ・ディランを聞くようになったのは、吉田拓郎の影響である。

 1972年に颯爽と現れたフォーク界の貴公子・吉田拓郎が、機会あるごとに「もっとも影響を受けたのはボブ・ディランである」「ボブ・ディランはすごい」と繰り返し発言していた。中学生だった私はすぐさまレコードを買いにいった。そのまま聞き続けた。


 その2、3年後だったとおもう。ボブ・ディランを聞き続けていた大人が(音楽評論家だったような気がするが、詳しくは覚えていない)、「ボブ・ディランのアルバムは、発売されるごとにリアルタイムで聴いていないと意味がない」ということを書いていた。その時代に居合わせなかった者にとって、とても口惜しい発言である。

 だったら、時代を越えても、似たような追体験をすればいいのだろう、と考えた。


 ファーストアルバムからきちんと聴いた。一曲ずつ、歌詞カードで英語を追い、訳詩を読む。それぞれの曲をほぼ口ずさめるくらい繰り返し聞く。

 ひとつのアルバムを繰り返し2、3ヵ月、ずっと聞き続ける。英語の歌詞を聴いただけで、内容がわかるようになって、次のアルバムに進む。それを繰り返した。

 1stアルバム【ボブ・ディラン】から始まり、2【フリーホイーリン・ボブ・ディラン】、3【時代は変る】、4【アナザーサイド・オブ・ボブ・ディラン】、5【ブリンギング・イット・オールバック・ホーム】、6【追憶のハイウエイ61】。

 高校生の終わりころから聞き込んで、このあたりで10代が終わってしまった。


 その後、中断を越えて、7【ブロンド・オン・ブロンド】、8【ジョンウェズリー・ハーディング】、9【ナッシュビルスカイライン】まで深く聴いた。

 

 この9枚のアルバムで収録されている曲は103曲である。1960年代に披露されていたディランの歌である(ディラン作詞でない曲も含まれている)。


 この中で、いくつか私個人に突き刺さってきた詩を紹介したい。

 ただ、かなり異様な聴き方をしてきたので、バランスがとれているかどうか、自信はない。評判の芳しくないものも紹介しそうであるが、まあ、しかたない。


ディランの鮮烈な処女詩集

 デビューアルバムの【ボブ・ディラン】には13曲が収録されているが、ボブ・ディランのオリジナル曲は2曲だけである。2枚めの【フリーホイーリン・ボブ・ディラン】の13曲が鮮烈である。このアルバムをディラン処女詩集と考えていいだろう。

 多くの詩人もそうであるように、やはり処女詩集には詩人の魅力が凝縮している。

 この処女詩集には、有名な『風に吹かれて』と『はげしい雨が降る』が収められている。

 それ以外では『くよくよするなよ/ドント・シンク・トゥワイス・イッツ・オーライ』『第3次世界大戦を語るブルース』『アイ・シャルビー・フリー』という詩が好きだ。

 『ドント・シンク・トゥワイス・イッツ・オーライ』は、失恋した男の未練いっぱいの歌。この詩では、後半の「I give her my heart, but she wanted my soul」という一節が10代のころからずっと心に突き刺さったままである。


 「ぼくは彼女にぼくのハートをささげた、でも彼女が欲しがっていたのはぼくのソウルだった」

 あなたは子供ね、と彼女に言われ、ふられて、さまよい歩いている。でも、くよくよるすなよ、これでいいんだ。

そういう詩である。SoulはHeartを越えて彼女が欲しがるものである。Soulとは魔女が欲しがる〝人の内面そのもの〟におもえてくる。男がいいと信じてるものと、女がほんとうに欲しがるものはすれ違っている。ディランはそう語りかけてきた。


 『第三次世界大戦を語るブルース』は、反戦ソングのようなタイトルだが、そうではない(あまりいいタイトルだとはおもえない)。第三次世界大戦の夢を見た、という詩である。

 第三次大戦の夢を見たと医者で言ったら、狂ってると言われ、恋人と下水道へ隠れ、街を歩きまわる。キャデラックをみつけ、それに乗って42番ストリートを下る。「こいつは、戦争が終わったあとに乗るにはいいクルマだ」。

 反戦ソングではない。不思議な高揚感に包まれる詩である。


 『アイ・シャルビー・フリー』

 酩酊者の詩である。

 四分の三、酔っていて、女を引っ掛ける。プレジデント・ケネディが電話をかけてきた。「マイフレンド・ボブ、国家の成長には何が必要かな」「マイフレンド・ジョン、それは、ブリジット・バルドーだよ、それにアニタ・エクバーグと、ソフィア・ローレンさ」

 この調子で続く。「なんでいつも酔っ払っているかって、それは頭が平ったくなるし、心が軽くなるからさ」。酔った状態を歌い続ける。聴いていて私はとても気分がいい。

 この時期のディランの詩は、常に遠くを見ている。自分がいる場所ではなく、ここより他の場所を強く意識して、自分たちが踏んでいない地平を歌う。想像できるかぎりの遠くを夢想するようにと教えられているようだ。

 ディランの言葉を聞いているだけで、精神が身体から離れる気分になる。夢想の旅に誘われ、別の世界に迷い込み、異次元で走り回る。夢見るような時間が過ぎる。それが若きディランの詩である。


いまも心に残るフレーズ

 『はげしい雨が降る』は、とても幻想的な詩である。身体を削り、肌に突き刺さるようなシーンが並べられ、次々とうつりかわる。はげしくディランの幻想に巻き込まれていく。

 ケネディ大統領時代のキューバ危機のおり、まもなく世界が滅びてしまうのではないかとおもったディランは、そのときに抱いていたいくつかの詩のイメージを、この詩にすべてぶちこんでしまった、という逸話を、そのむかし何かで読んだ記憶がある。

 本当かどうかは知らない。でも、そういう言説が説得力を持つような混沌とした世界が提示される。聞いているだけでスリリングである。

 『第三次世界大戦を語るブルース』やケネディと電話する『アイ・シャルビー・フリー』などは、たしかにそのとき落ちこぼれたイメージで作られたようにも見える。

 * * *

 処女詩集以降にも、いくつも魅力的な詩がある。

 『時代は変る』には勇気づけられた。「For the loser now Will be later to win」今日の敗者はやがて勝者となる。この一節をよく口ずさんでいた。

 『ハッティ・キャロルの寂しい死』は、先にメロディだけを聴いた。(吉田拓郎がこの曲に「準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響」という個人的な恋愛話をのっけて歌っていたのだ)。

 その魅力的で説得力のある節まわしに、サビの部分「すべての恐怖をフィロソファイズし、ディスグライズし、クリティサイズする人たちよ、布っきれを顔から離しなさい、いまはまだ涙するときではない」というフレーズが襲いかかってくる。フィロソファイズ、ディスグライズ、クリティサイズは、理論、不名誉、批評というような意味だろう。このフレーズは最後には、顔をふかくうずめなさい、いまこそ涙するときだ、というフレーズに変わる。とつぜん、世界が広く見えた気になる。


 『サブタレニアン・ホームシック・ブルース』

 「ジョニーは地下室でクスリを混ぜている。おれは舗装道にいて政府のことを考えている」、というフレーズで始まる軽快な詩である。地下室「basement」舗装道「pavement」政府「gavernment」と心地いい音が続く。


 『ボブ・ディランの一一五番目の夢』

 メイフラワーに乗って陸地が見えた、というところから始まる長い詩である。スリリングな気分で言葉を辿ってくると、なにか愉快な気分になってくる。


 『エデンの門』

 エデンの門の外にあるさまざまな〝動〟と、門の内側にある静謐がくっきりと描き出される。


 『イッツ・オーライト・マ』

 「真昼の裂け目の漆黒が、銀の匙を影にしてしまい」と歌い始める長い曲は、第一フレーズが、noon,spoon,ballon,moon,soonときちんと同じ音で並べられている。各節ごとに音が変わっていく。それをたたみかけるように、早口で一気に喋るように、ディランは綴っていく。


 『イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー』

 ディランの強い決意が伝わってくるような詩。


 『廃墟の街』

 11分もある長い曲であり、この詩のもつイメージは凶悪で壮大で、示唆的で幻想的である。そのイメージの強さに何度も聞き返してしまう。


  『追憶のハイウエー61』

 「40本のレッドとホワイトとブルーの靴紐に、1000台の鳴らない電話がある」「五番目の娘が十二夜に、第一の父に言った」「第二の母は第七の息子とともにハイウェイ61にいた」

 数字がときに暗示的に、あるいは無意味に羅列されるのもディランの詩の魅力である。意味を探ってもどこにもたどりつかなさそうだが、でも無意味だろうと切り捨てる勇気も持てない。思考の混乱もまた快感になる。


 『ジョアンナのビジョン』

 ここにいないジョアンナのことを想う言葉が美しい詩となっている。


 『メンフィス・ブルース・アゲイン』

 同じところをぐるぐる廻っているような気分になってくる楽しい詩。聞いているととても元気になる。


 『ローランドの悲しい目の乙女』

 高貴なるものと卑賤なものが同価値で混じり合っている世界を暗示しながら、そこにはディランの哀しみがしっかりと感じられる。何度も惹きつけられるとても魅力的な詩である。


 『見張り塔からずっと』

 短い詩である。Watchtower見張り塔という言葉が刺激的である。ディランの立ち位置を示しているようだ。山猫が唸り、風が吠えはじまたところで詩は、断ち切られるように終わる。


 『フランキー・リーとジュダス・プリーストのバラッド』

 フランキーとジューダスの物語詩。フランキーは死んでしまう。

 * * *

 いまも心に残るフレーズがある詩たちである。

 わたしがもっとも繰り返し聞いているのは『廃墟の街』と『ローランドの悲しい目の乙女』である。この二曲を聴き続けているだけでも、常に何かを刺激され、脳の中が刷新されるようである。

 文字と音を真剣に追うけれど、でも意味は深く考えないのが、ディランの詩を聴く時のポイントだとおもう。ディランの詩の素晴らしいところは、やはり、詩人じしんが朗読してくれているところだろう。

堀井 憲一郎     ★

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

パティ・スミスノーベル賞式典でボブ・ディランの『はげしい雨が降る』をカヴァー

ローリングストーン日本版 12/13(火) 17:00配信

パティ・スミスは、12月10日、スウェーデンストックホルムで行われたノーベル賞授賞式で、ボブ・ディランの『はげしい雨が降る』のエモーショナルな演奏を披露した。

全文掲載|ボブ・ディランのノーベル文学賞の受賞スピーチ

パティ・スミスは、12月10日、スウェーデンストックホルムで行われたノーベル賞受賞式で、ボブ・ディランの『はげしい雨が降る』のエモーショナルな演奏を披露した。この演奏は下のビデオの1:03:00から始まる。

スミスは、アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』のクラシックを、アコースティック・ギターとペダル・スチール・ギター、そしてオーケストラをバックにノーベル賞の演壇から歌った。

曲の途中で、スミスは歌詞の1節を繰り返してしまったため、少しのあいだ演奏を中断せざるを得なくなり、さらにその部分から演奏を再開するのにちょっとした気持ちの立て直しが必要になった。「ごめんなさい。お詫びします。とても緊張しているので」とスミスは聴衆に話し、そんなスミスの誠実さを聴衆は称えた。

スミスの演奏に続き、ディランは「詩についての我々の概念を変えた」というスウェーデン・アカデミーのノーベル賞記念講演となった。

12月5日、ノーベル賞授賞式にディランが出席しないことに併せて、ノーベル文学賞授賞式でパティ・スミスが『はげしい雨が降る』を演奏するとの発表があった。

「オーケストラと一緒に私の歌を歌う計画があったの」とスミスはローリングストーン誌に話している。「だけど、ボブ・ディランが受賞して彼が受け取ることになったので、私の曲は置いておいて、彼の曲を歌う方が相応しいように思ったの。私は『はげしい雨が降る』を選んだわ。

なぜなら彼の曲の中でもっとも美しい曲の1つだから。人の痛みについての深い理解と痛みを究極的に跳ね返す力、それにランボー的な言葉への造詣が合わさっているのよ」。

「私は10代の頃からディランを追いかけてきたわ。半世紀になるわね」とスミスは加える。「彼の影響は大きく広がって、そのことで私には彼に多くの借りがあるわ。12月10日の式典でディランの曲を私が歌うのは、期待されていたことではなかったけれど、彼の曲を演奏するのを誇りに思うし、私たちのずっと先にはいるけれど、現代の、カルチャーの先導者として彼が存在してくれることに対する感謝の気持ちで演奏してみようと思うの」。
Translation by Kise Imai

パティ・スミスが語る、ノーベル賞授賞式:"極度の緊張状態"だった 
ローリングストーン日本版12/15(木) 16:15

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

パティ・スミスノーベル賞授賞式でのパフォーマンスを振り返る

BARKS 12/15(木) 20:52配信

パティ・スミスが、『New Yorker』誌にエッセイを掲載し、ノーベル賞授賞式ボブ・ディランの曲をパフォーマンス中、口ごもってしまった理由を説明した。

◆パティ・スミス画像

パティは9月、「そのときまだ誰かはわからなかったけれど、文学賞受賞者の栄誉を称えノーベル賞授賞式で歌わないかと打診された」そうで、「自分の曲の中からオーケストラとパフォーマンスするのに相応しいと考えた1曲を選んだ」という。

「けれど、ボブ・ディランが選ばれ、それを受け入れたと発表されたとき、自分の曲を歌うのはもはや適さないように思いました。予期せぬ状況に置かれ、私は相反する感情を抱きました。彼が欠席し、私はこの役目に適任なのか? 決してそんなことはしたくないと思ってきたのに、ボブ・ディランを不快にすることにはならないか? でも、決意を固め、全てを検討し、ティーンエイジャーのときから大好きで、私の亡くなった夫のお気に入りでもあった“A Hard Rain’s A-Gonna Fall”を歌うことにしました」

「そのときから、暇さえあれば練習し、全ての節を覚え歌うことができるよう尽力しました。自分も青い目の息子を持ち、喜びと決意を抱きながら、歌詞をオリジナルのキーで何度も何度も口ずさんでいました。作られたものそのままに歌おう、そして自分にはできるとだけ考えました。新しいシャツを買い、髪の毛を切り、準備万端だと思いました」

ノーベル賞授賞式の朝、不安とともに目が覚めました。土砂降りで、雨は激しく振り続けました。着替える際、自信を持って曲を繰り返し歌っていました。ロビーへ行くと、フォーマルで伝統的な――刺繍のはいったクリーム色の着物と草履姿の素敵な日本人の女性がいました。彼女の髪は完璧にセットされていました。彼女は、生理学・医学賞を受賞した上司の栄誉を称えるために来たが、天気が嫌だと言ったので、私は、あなたはきれいよ、どれほどの風や雨もそれを変えることはできないと答えました。

コンサート・ホールに着いたころには、雪になっていました。オーケストラとのリハーサルは完璧でした。自分の楽屋にピアノがあり、紅茶と温かいスープが持ち込まれました。みんながパフォーマンスを楽しみにしているのは承知していました。全てが私の前にありました」

「16歳のとき、私にとって初めてのディランのアルバムを買ってくれた母のことを想いました。彼女はそれをバーゲン・コーナーで見つけました。“彼はあなたが好きそうなタイプね”って言っていました。私はそのレコードを何度も何度もプレイし、“A Hard Rain’s A Gonna-Fall”はお気に入りになりました。

それは当時、私はアルチュール・ランボーの時代には生きていないけれど、ボブ・ディランの時代にいると思わせたものです。それに、夫のことも考えました。彼と一緒にこの曲をパフォーマンスしたこと、彼の手がコードを奏でるところを思い出しました」

「そして突然、時間がきたのです。オーケストラは、王、皇族、受賞者たちが座る、ステージを見渡すバルコニーに配置されました。私は指揮者のとなりに着席しました。式は予定通り進行し、私はヘルマン・ヘッセトーマス・マンアルベール・カミュら過去の受賞者が王のもとへ向かいメダルを受け取るところを想像していました。

そして、ボブ・ディラン文学賞受賞がアナウンスされ、私は心臓が激しく鼓動するのを感じました。彼への感動的なスピーチが読み上げられた後、自分の名が呼ばれるのが聞こえ、立ち上がりました。まるでおとぎ話のように、私はスウェーデンの王や王女、世界の偉人たちを前に立ったのです。全ての言葉がそれを書いた詩人の経験や立ち直る力をエンコードした曲と共に」

「オープニングのコードが始まり、自分が歌っているのを耳にしました。最初の一節はまずまずで、ちょっと震えていましたが、このさき落ち着くだろうと確信していました。しかし、その代わりに、私はあまりにも多くの感情に襲われ、そのあまりの激しさに圧倒され、それらをコントロールすることができなくなったのです。

目の端からテレビ・カメラの巨大なブーム・スタンドやステージの上の高位な人々を見ることができました。これほど圧倒されるような緊張には慣れておらず、続けることができませんでした。私は、自分の一部となった歌詞を忘れたわけではありません。ただ単に、それらを口に出すことができなかったのです」

パティは席に戻った際、失敗したと恥ずかしくて仕方なかったと同時に、その部分の歌詞が「I stumbled alongside of twelve misty mountains」に始まり「And I’ll know my song well before I start singing」で終わるところだったのに気づき、「本当にあの歌詞の世界に入り込んだという奇妙な実感を持った」という。

翌朝、朝食でノーベル賞受賞者たちに会ったとき「いいパフォーマンスだった」と言われ、「もっと上手くできたらよかった」と答えると、「いやいや、僕らには、君のパフォーマンスは僕ら自身の葛藤のメタファーに見えた」と優しい言葉をかけられたそうだ。

パティは70歳の誕生日(12月10日)に息子や娘とともに、彼女が誕生したNYでスペシャル・パフォーマンスを行なう。
Ako Suzuki

パティ・スミス、ノーベル賞授賞式でのパフォーマンスを振り返る

12月15日(木) 20時52分-音楽(BARKS)

 
 
終りまでお読み頂き、ありがとうございました

本年もよろしくお願いいたします
 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇