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こういう事みたい あの人の暴言や罵倒は1

こういう事みたい あの人の暴言や罵倒は1
 
 
 
 
 
どこまでも常識を超えた発言が多いドゥテルテ
大統領なのですが、個人を辿った記事がありま
した。フィリピンというアメリカの同盟国の大
統領という立場にいながら「アメリカと決別す
る」と演説を始めるのですから、度肝を抜かれ
た人も多く、ニュースは世界を巡ったことでし
ょう。


以下の記事は、ウォール・ストリート・ジャー
ナルの記事なのですが、ドゥテルテ大統領のア
メリカへの暴言などは、大統領の本音か、その
一部ではないか、と思ったようです。アメリカ
のフィリピン支配に原因あるのではないか、ア
メリカのことが影響しているのではないか、と
いう立場のようです。


以下の記事の最後の部分に1989年という記述
があります。1898年にはアメリカとスペイン
が戦争しました。歴史では植民地の争奪戦争と
言われています。

キューバ方面で戦闘が始まったのですが、マニ
ラ湾でもアメリカとスペインの海軍が海戦しま
した。スペイン軍が降伏して、アメリカのフィ
リピン統治の始まりとなりました。100年以上
前になりますが、この頃の話が今のフィリピン
に語り継がれていてもおかしくはありません。

スペイン軍を攻撃する時アメリカ軍はフィリピ
ン独立派に、スペイン軍に勝利したらフィリピ
ンの独立を認めるといったのでした。このこと
から1999年にはフィリピン軍はアメリカ軍と
戦闘することになりましす。理由は、約束され
た「フィリピン独立」の話が反故にされたので
す。

フィリピン独立軍としては、マニラのスペイン
軍を包囲していたところにアメリカ軍が現れて、
スペイン軍はアメリカ軍に降伏するという結果
になり、アメリカが主導権を握りました。アメ
リカ海軍はスペイン軍に抵抗するフィリピンの
独立派に武器などの援助をしていたということ
です。

それぞれの立場を正当化するなら、スペイン軍
はアメリカに降伏するなら命が安全と考えたか
もしれません。アメリカ軍は海の上でスペイン
の艦隊と戦って撃破しているので、功績は自分
らが獲得しなくっちゃということでしょう。

フィリピン独立派としては「独立を認める」と
アメリカ軍に言われると戦う理由がなくなりま
す。フィリピンを植民地支配することが分かっ
て、再度武器を取ることになるのですが。


1900年にフィリピン統治の総督にマッカーサ
ーという人が就任しました。第二次世界大戦
日本軍と戦い、日本を占領統治したマッカーサ
ー元帥のお父さんだそうです。


以下の記事は前編となっています。後編に期待
しましょう。

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フィリピン大統領、「米国と決別」の裏に憤りの半生(前編)

ウォール・ストリート・ジャーナル 10月24日(月)9時27分配信

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 同盟国である米国と距離を置く姿勢を鮮明にするフィリピンのドゥテルテ大統領。71歳の大統領がどのような人生を歩み、どのようにして今のような考え方を持つに至ったかを探れば、米国がなぜフィリピンとの関係を失う恐れがあるのかが見えてくる。

 9月にラオスで開催された東南アジア諸国連合ASEAN)首脳会議を機に行われる予定だったオバマ米大統領との会談は、ドゥテルテ氏が暴言を吐いたことでキャンセルとなった。その2日後、ドゥテルテ氏は米・ASEAN首脳会議も欠席した。フィリピンの当局者によると、ドゥテルテ氏はオバマ大統領が自分を対等に扱わなかったと感じたいう。

 友人や家族、同僚の話によると、ドゥテルテ氏は米国に憤りながら生きてきた。フィリピンに対する米国の態度に傲慢さを感じ取り、腹立たしく思っていた。米国にとってアジアの中でも極めて重要な関係を解消の危機に追いやったのはこうした不満感だった。

 そうしたドゥテルテ氏の心情は今月20日、明確になった。中国を公式訪問中のドゥテルテ氏は北京の人民大会堂で軍事的、経済的関係に関する演説を行い、「私はこの場で米国と決別することを発表する」と宣言したのだ。大統領は「米国人は騒々しく、乱暴なときもある」と述べると突然、礼儀に欠けるという米国人の話し方をまねし始めた。

 翌21日、ドゥテルテ氏は記者団に対し、「決別」とは同盟関係を断つことではなく、米国政府の方針とは必ずしも一致しない外交政策を行うことだと釈明した。

「売られたけんかは買う」
 ドゥテルテ氏の反米感情は環境によって培われた。出身地のミンダナオ島では、住民は100年前に米国がフィリピンに武力を行使し、植民地化したことに今も苦々しい思いを抱えている。ドゥテルテ氏は、のちに起きたいくつかの出来事を米国帝国主義の象徴と受け止め、やりきれない思いはさらに募った。

 子どものころのドゥテルテ氏はけんかばかりしていた。刃物で刺されて帰宅したこともあった。その後、犯罪と戦う市長として政治の世界で名を上げた。ドゥテルテ氏が市長になってから数百人が自警団によって殺害された。

「(ドゥテルテ氏は)売られたけんかを放っておく人間ではない。売られたけんかは買う」。こう話すのは、ドゥテルテ氏の元同級生で政権の一員でもあるジーザス・ドゥレザ氏だ。こうした性質はドゥテルテ氏に深く染み付いていると言う。

 北京滞在中、ドゥテルテ大統領は習近平国家主席とビジネスに関する複数の協定に調印した。ドゥテルテ氏が2国間協議の再開に合意したことの見返りとして、習氏はフィリピンに90億ドル(約9300億円)を超える融資を約束した。

 ドゥテルテ氏は北京での演説で「私は(中国の)イデオロギーの流れに同調する」と発言。さらに「ロシアを訪問してプーチン大統領と会談し、中国、フィリピン、ロシアの3カ国は世界と対決していると伝えてもいい」と語った。

 ドゥテルテ大統領は、南シナ海での中国との領有権争いも棚上げした。中国は2012年以降、フィリピン北部ルソン島沖約200キロに位置するスカボロー礁を実効支配している。

 フィリピンとの関係が悪化すれば、米国にとって南シナ海で軍事プレゼンスを拡大するための選択肢が狭まる恐れがある。米国は第2次世界大戦以降、地域の安全保障の守護者を自認してきたが、今後はそれも難しくなるだろう。

フィリピン左派に共通する思い

 ドゥテルテ大統領が「決別」を宣言する前、米国の国防関係者はフィリピンとの関係は今後も機能すると話していた。しかし、決別宣言後には、国務省の報道官はドゥテルテ氏の発言が両国関係と「不可解なほど一致しない」と述べた。オバマ大統領をはじめ米政府関係者はこれまで、フィリピンとの関係を「鉄壁」と表現してきた。

 フィリピンの国防関係者は、ドゥテルテ氏の考えはよくわからないと発言しながらも、大統領が前任のベニグノ・アキノ3世と比べ、より独立した外交政策を構築する意向であることを明言している。

 ペルフェクト・ヤサイ外相は今月、ドゥテルテ大統領について、手足を縛るような米国への依存から「私たちを解放しようとしている」とフェイスブックに投稿した。フィリピン国民は米国の「褐色の肌をした小さな弟分」のような扱いを受けているとも書いた。ヤサイ氏に問い合わせをしたが、回答はなかった。

 ドゥテルテ氏の事務所にも本稿向けのコメントを要請したが、回答はなかった。公の場ではドゥテルテ氏は、中国による領土奪取を止められず、離島を含めたフィリピンの全領土を守ると明確に保証することを拒否したとして米国政府を非難している。

 米国は1898年のフィリピン侵攻と暴力による制圧を償っていない――。ドゥテルテ氏の愛国心は、フィリピンの左派寄りに共通するこうした思いを映し出している。フィリピンは1946年に独立を果たしたが、ドゥテルテ氏ら多くの左派寄りの政治家にしてみれば、米国政府が選んだマニラの腐ったエリートの手に渡ったにすぎなかった。

*この記事の後編はこちらをご覧ください(さらにドゥテルテ氏の生い立ちに迫ります。

By Trefor Moss

 
 

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よかったら覗いてみてください
 
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