ネットビジネス情報は海原の波

毎日、沢山の情報が生まれ消えています。どんな情報がいいのか?

ノーベル平和賞 17歳少女マララさんの声(スピーチ)を探る 3

ノーベル平和賞 17歳少女マララさんの声(スピーチ)を探る 3 

 
 

ノーベル平和賞受賞時のマララさんの喜び声の全文がありました。その中から、

以下は「声を上げることを選択した」という部分です。
 
銃撃された経過ということにもなりますが、
考えられないような過酷な状況だったようです。
 
その状況が分かる記事も掲載します。
 
◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆
 
マララさんの声(スピーチ) 2014年10月11日
 
ご存じの通り、スワートはタリバンパキスタンの反政府武装勢力パキスタンタリバン運動」=TTP=)の支配下にあり、学校に行くことは誰にも許されていなかったのです。

私は、自分の権利のために立ち上がりました。そして声を上げると言いました。ほかの誰か(が何かをしてくれるの)を待ったのではないのです。 

私には二つの選択肢しかありませんでした。一つは、声を上げずに殺されること。もう一つは、声を上げて殺されること。 私は後者を選びました。

当時はテロがあり、女性は家の外に出ることが許されず、女子教育は完全に禁止され、人々は殺されていました。当時、私は学校に戻りたかったので声を上げる必要がありました。

私も教育を受けられなかった女の子の一人でした。私は学びたかった。私は学び、将来の夢をかなえたかった。
 

◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆

マララさん タリバーン支配を偽名で発信 ブログ終了間際「私はマララ」、本名公表

withnews 10月10日(金)18時40分配信


ノーベル平和賞に決まったマララさんは、2009年1月、タリバーン支配下の地域からブログで厳しい生活の様子を発信しました。偽名で年齢も偽るという、過酷な状況。最後には本名を公表するという決死の覚悟でした。

【画像】マララさん、なぜ銃撃された イラスト解説

■英語スピーチ、間違えてもお構いなしで熱弁
教員一家に生まれたマララさんは、早くから英語を習うなど、教育熱心な家庭で育ちました。

英語のスピーチの練習ではからかわれてもお構いなしで熱弁をふるうなど、当時から、意思の強さを感じさせるエピソードが伝わっています。

■2007年に生活暗転
マララさんの生活は2007年、暗転します。反政府武装勢力タリバーンがスワート渓谷一帯を支配下に置きました。その時、標的にされたのが女子教育でした。

■偽名でブログ、世界から反響
そんな厳しい生活をマララさんは、ブログで発信します。マララさんがパキスタン公用語ウルドゥー語で書いた日記を毎晩、BBCの記者が電話で聞き取り、BBCウルドゥー語のブログに掲載しました。

その際、安全のため「グルマカイ(トウモロコシの粉)」というペンネームを使いました。年齢も実際より2つ上の13歳にしました。


■ブログ終了間際、本名公表「私はマララ」
ブログの終わりが近づいた2009年2月、州都ペシャワルの集会で、当時11歳のマララさんは言い放ちました。「私の名はグルマカイではありません。マララ・ユスフザイ。他の誰でもない」。

 マララさんは、少女たちの教育の権利を訴え続けた。しかし2012年10月、タリバーンの銃弾がマララさんの頭を貫き、意識不明になります。


■イギリスから発信、国連でも演説
イギリスでの治療を受けたマララさんは奇跡的に回復。2013年7月には国連でも演説をし、世界中から共感を呼びました。2013年11月には人権や表現の自由を守る活動をたたえる「サハロフ賞」も受賞しました。

マララ・ユスフザイさん
パキスタンの女子学生。女子が教育を受ける権利をブログなどで訴えていた。下校中に武装勢力に襲われ、頭を銃で撃たれた。反政府武装勢力パキスタンタリバーン運動(TTP)が犯行を認めた。

 英国の病院に搬送され、損傷した頭蓋骨(ずがいこつ)の修復手術などを受け、奇跡的に回復。支援の輪が世界中に広がり、今年のノーベル平和賞の有力候補に。TTPは再襲撃を予告しており、現在は英バーミンガムの学校に通っている。

◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆

スピーチ全文が掲載されているページです。

よかったらお読みください。

国際 : 読売新聞YOMIURI ONLINE

ノーベル平和賞、マララさんのスピーチ全文

 ⇒ http://www.yomiuri.co.jp/world/20141012-OYT1T50145.html

 

  終りまでお読みいただき、ありがとうございました。

   --------------------