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ノーベル賞:「平和賞」生んだ情熱の女性

ノーベル賞:「平和賞」生んだ情熱の女性 

毎日新聞 2014年10月07日 13時16分(最終更新 10月07日 20時03分)

ベルタ・フォン・ズットナー オーストリア 平和活動家 作家 ノーベル平和賞受賞者=オーストリア大使館提供
ベルタ・フォン・ズットナー オーストリア 平和活動家 作家 ノーベル平和賞受賞者=オーストリア大使館提供
 

オーストリアの活動家 ベルタ・フォン・ズットナー

 

 ノーベル賞の発表が始まった。アルフレッド・ノーベルが賞の創設を遺言にしたためたことはよく知られているが、その一つを「平和賞」(10日発表)とした陰には、彼に深い影響を与えた一人の女性の存在があった。

 

ベルタ・フォン・ズットナー(1843〜1914年)。没後100年を記念して、その生涯を描く一人芝居も上演される。【石塚淳子】

 ベルタは1905年に女性で初めてノーベル平和賞に選ばれたオーストリアの平和活動家で、作家。

日本での知名度は高くないが、オーストリア大使館文化担当公使のペーター・シュトーラーさんは「国ではユーロ導入前の紙幣に肖像が使われていたほど高名な人物です」と話す。

 ノーベルとの出会いは30歳の頃。ダイナマイトの発明で巨万の富を築き、パリに豪邸を構えていたノーベルが新聞に秘書募集の広告を出し、ベルタが応じたのがきっかけだった。

 

伯爵家に生まれ、没落はしたものの教養豊かで数カ国語に通じたベルタはノーベルを魅了した。だが、かつて恋仲だったズットナー男爵家の子息から「君なしでは生きられない」との電報を受け取り、数カ月でノーベルの元を去る。

 

ノーベルはベルタに恋をしていたようです。残念ながら実りませんでしたが」。ベルタの生涯に詳しい立命館大学の山根和代准教授(平和学)はそう語る。

 それでも2人の友情は続いた。1886年、夫とパリを訪れた彼女をノーベルは歓待。この時、ベルタは国際仲裁裁判所の実現を目指すロンドンの平和組織の存在を知って衝撃を受ける。帰国後、組織の理念を広めるために小説「武器を捨てよ!」を執筆。

 

伯爵家の娘が4度の戦争を経験し、2人の夫を失う中で平和主義に目覚める物語で、16言語に翻訳される大ベストセラーに。出版をきっかけにベルタは平和運動に身を投じ、ノーベルに手紙を書き送っては資金援助を求めた。

 

 ノーベル自身は平和には抑止力も必要との考えだったため、時には批判的な意見を述べながらも、1896年に死去するまでベルタの活動を支え続けた。

 

「もし彼女がいなかったら、ノーベル平和賞がつくられることはなかったでしょう」と山根准教授。

 欧州列強の軍備拡張が進む中、ベルタは国粋主義者反ユダヤ主義者を敵に回し、アメリカや北欧にも足を運んで大規模な戦争が訪れる危険性を叫び続けた。

 

911年に出版した小説では「雲のある高い所からラジウム放射線によって一瞬にして敵の全艦隊、軍隊、そしてすべての都市を破壊するのは、簡単なことです」と核兵器の脅威を思わせる警告をしている。

 

71歳で世を去ったその1週間後、サラエボオーストリア皇太子が暗殺され、第一次世界大戦へとなだれ込んでいく。

 ベルタの生涯をたどる一人芝居のタイトルは「情熱に燃える魂」。オーストリアの女優、マクシー・ブラハさんが構想を練り自ら演じる。

 

日本では27日の東京・明治大駿河台キャンパスを皮切りに広島、兵庫、京都、愛知の5都府県(東京は2回)で上演される。場所と日程はオーストリア文化フォーラムのサイト(http://www.austrianculture.jp/theater.html)に。

     (毎日新聞 特集連載からです)

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 こんにちは。

ノーベル賞の発表がありました。日本人3人が

物理学賞に輝きました。うれしいですね。

 

今回は初めて未成年の人が平和賞をもらったのですが、

ノーベル平和賞に関して上ような記事がありました。

 

ベルタ・フォン・ズットナーは平和主義者として

ヨーロッパでは大変知られた人のようですが、

若い頃は駆け落ちをしてグルジアトビリシ

住んだことがあるということなんです。

 

この駆け落ちのためにノーベルの秘書を

辞めたとも考えられるのですが。

 

トビリシでは、ベルタは1877年~1878年

露土戦争の状況を目の当たりにして、

負傷兵へ自宅を開放したということです。

 

負傷兵の悲惨な姿を見たりしたこの時の体験は

1889年に発表した小説「武器を捨てよ」の題材になり、

後の平和運動の基礎になっているということです。

 

「武器を捨てよ」は世界中で大反響を呼び、

ノーベルも感動したようです。

 

ベルタは本格的に平和運動するようになり、

ノーベルとの交流は続き、その考えはノーベル

平和賞の設置に大きく影響したということです。

記事にあるようにノーベルは生涯ベルタの運動を支援しました。

 

ベルタは非常に見識がある人だったようで、

第一次世界大戦が勃発する1週間前に亡くなった

のですが、世界大戦のような大規模な戦争を

予見し、心配していたようです。

 

  終りまでお読みいただき、ありがとうございました。

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