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クリミア半島や黒海の、おっとり話【4】

クリミア半島黒海の、おっとり話【4】

こんにちは。

低気圧がベタッとしていて、発達しようかな、
どうしようかなと迷っている感じ。

今日は、大体雨模様ですね。

まだ、影響はないようなのですが
はるか南には台風がいます。
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黒海方面のお話ですが、

19世紀のオスマン帝国は軍の近代化を嫌った
保守派が主流だったようで、領地を失っていきました。

8番目の出会いになります。

19世紀に入るとバルカン半島セルビアボスニア
ブルガリアなどでオスマン帝国に対して反乱が起こりました。

これは1789年のフランス革命の影響で
民族意識の芽生えと言われています。

人種はスラブ人なのですが、南部スラブと呼ばれるようです。

オスマン帝国は鎮圧を試みたのですが、
ロシア帝国キリスト教徒の保護を理由に介入しました。

そこでオスマン帝国はボスポラス、ダーダネルスの
2つの海峡のロシアの通行を停止し、それが理由で
1806年~1812年の間戦争となりました。

西はドナウ川沿岸、東はコーカサスと2箇所が戦場となりました。

オスマン帝国は国内の政変で不安定となり、
ロシアはナポレオンの侵攻に備えるため、
この戦争を終戦にしました。

オスマン帝国は、セルビアの自治を認め、ウクライナ
すぐ西のベッサラビア(現在のモルドバ)をロシアへ割譲しました。

ロシア皇帝はアレクサンドル1世(1801年~25年)

(この時期、ヨーロッパはフランスのナポレオンと、対抗する
反フランスの同盟があり、非常に複雑な情勢でした。

1812年にはナポレオンはモスクワに侵攻したのですが、
焦土作戦のため悲劇的な退却をしたロシア戦役がおこりました。)
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9番目の出会いになります。

ギリシャが1821年にオスマン帝国から独立
したのですが、イギリス、フランス、ロシアが
オスマン帝国に介入し、ロシア帝国は開戦しました。

やはりキリスト教徒の保護という名目です。

9番目の出会いは、1828年1829年です。
この戦争ではバルカン半島ブルガリア地域と、
黒海東岸のグルジア地域が戦場になりました。

ロシア帝国が勝利して、ドナウ川河口地域と
黒海の東岸地域を割譲して獲得しました。

クリミアの黒海艦隊は支援の役割をしました。
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この頃の日本ではゴローニン事件というのがありました。

1811年ディアナ号というロシアの船を松前藩
国後島で拿捕して、艦長のゴローニンなど8人を
抑留しました。

副艦長のリコルドはシベリアに帰還しました。、

12年にリコルドは国後島へ来て、日本人漂流民を使者として、
ゴローニンと交換を要求するが、松前藩はゴローニンを
処刑したと言って拒否しました。

リコルドは報復措置として日本の廻船観世丸を拿捕して、
高田屋嘉兵衛らを抑留しました。

13年、リコルドは函館に来て高田屋嘉兵衛らとゴローニンの
捕虜交換をし、ゴローニンは帰国することができました。

後に、ゴローニンは「日本幽囚記」を著わし、
リコルドも詳細な記録を残しています。


  終わりまでお読みいただき、ありがとうございました。
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