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クリミア半島や黒海の、おっとり話【3】

クリミア半島黒海の、おっとり話【3】

こんにちは。

【おっとり話2】に続きますと、18世紀に入ります。

言うまでもありませんが、ロシアとオスマン帝国
繰り返し戦争となります。

前の戦争が終結して10年後にまた戦争を始めました。

おっとり話【2】にスウェーデンが出てきましたが

この戦争も複雑です。

1700年にスウェーデンバルト海諸国を相手に
戦争を始め、1721年まで続きます。

大北方戦争」と呼ばれるものなのですが、
1707年頃からウクライナが戦場となり、

ウクライナ・コサックはスウェーデン側についたようです。

1709年、スウェーデンとロシアは、ウクライナ中部の
ポルタヴァでの戦いにロシアツァーリのピョートル1世が勝利して、

スウェーデン王のカール12世は負傷して、
南のオスマン帝国に逃げ込んだのです。

ロシアのピョートル1世はカール12世の引渡しを
オスマン帝国に要求し、この要求を拒否して、

4番目の出会いとなりました。
「プルート川の戦い」と呼ばれるのですが、

1710年~1711年に戦争して、オスマン帝国
勝利しました。

現在のルーマニアモルドバの国境となっている
プルート川が戦場になったのですが、和睦となり、

オスマン帝国はアゾフ地域の返還とカール12世の
身分が保証されました。

カール12世は1714年にスウェーデンに戻りました。

大北方戦争は1721年にロシアの勝利となり、
帝国として周辺から認めらることになりました。

初代皇帝はピョートル1世です。
ロシアはバルト海を通行できるようになりました。)
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5番目の出会い。1735年~1739年、オーストリア
ロシア帝国側について、ロシア・オーストリア・トルコ戦争

と呼ばれる。勝負は引き分け。
オスマン側はセルビアベオグラードを奪還し、
ロシア側はアゾフ地域の領有が確定しました。

(16世紀にオスマン帝国ハンガリーまでを領地
していたので、オーストリアとも度々戦争をしています。

1718年に要衝のベオグラードオーストリアに占領
されていました)
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6番目の出会い。1768年~1774年、ロシア帝国
ポーランドオスマン帝国の両方を攻撃し、まず

ポーランドを制圧。その後、南のクリミアハーンを
攻撃してオスマン帝国に打撃を与え、ロシアが勝利。

クリミア半島アゾフ海周辺の宗主権を
オスマン帝国から獲得しました。
(第一次露土戦争とも呼ばれます)

ロシア皇帝は何にでも積極的だった女帝エカチェリーナ2世
オスマン帝国は衰退を始めことになりました。

この戦争の後、ロシア帝国クリミア半島の南端
セヴァストポリを軍港にして黒海艦隊を編成しました。
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7番目の出会い。1787年~1791年、ロシア帝国
オーストリアと密約を交わし、バルカン半島の各地で

オスマン帝国と戦って、ロシアの勝利に終わった。
ロシアはクリミア・ハーン国の領地オデッサ地域を併合した。

ロシア皇帝は女帝エカチェリーナ2世

ロシアとしては、長年かけてカスピ海方面から
少しづつ西へ領地を広げてきたようです。
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【この頃の日本との関係】

1792年、ロシアの使節が根室に来て通商を求めた。
この時は根室の漁民がロシアへ漂流し、ロシアで

女帝エカチェリーナの許可をもらって使節に
同行していたようです。

1804年には、ロシアの使節が長崎に来て通商を要求しました。

1808年、間宮林蔵樺太を探検し、間宮海峡を発見しました。
それはいいのですが、なぜかロシア名は「タタール海峡」なのです。

  終わりまでお読みいただき、ありがとうございました。
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